2014年、暮石人形と関光ブランドは創業100年を迎える事ができました。
これもひとえに皆様のお力添えあってのことと、感謝の気持ちでいっぱいでございます。
「ありがとう100年、これからも100年」を合言葉にますます精進してまいります。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
日本人形製作に携わる者は、江戸時代からの風習で 独立開業するにあたり、屋号として作名を名乗りました。
先々代の 暮石 関太郎は、お人形への熱い思いと情熱を 胸に人形を作ることを生業とし、自身の名前の 「関」 の一文字を使い 作名を関光(せきみつ)と名乗り、独立開業しました。
明治から大正時代への新しい幕開けとともに、関太郎も大志を心に新しい 船出をしたことでしょう。
今の御園座のあたり、伏見町で職人として商売を営んでおりました。
1914年(大正3年)はちょうど夏目漱石が名作「こころ」を発表した年でもあります。
「関太郎」の人となりを伝え聞かされるに、下戸で世話好きな好好爺(こうこうや)そして、女房の「みな」も世話好きで知られておりました。
いつも
「よういりゃあてちょうした(ようこそおこしくださいましたの意)」
「ありがとなも(ありがとうございますの意)」
と感謝と労いの言葉であふれた、よく人の集まるにぎやかな、お店だったそうです。
その後、名古屋の大空襲により疎開を余儀なくされ、最終的に現在の南区に腰を落ちつけました。
1961年(昭和36年)に他界してからは、長男の鋼一とその兄弟が遺志を継ぎ、二代目関光として稼業を盛り立てていきました。
関光ブランドとして製造、卸売業を営み、全国のお人形屋さんに関光ブランドを扱っていただけるようになりました。
この頃、新瑞橋に直営販売店としてショールームを展開しました。
100年の道のりは決して一人の力で歩んで来たわけではありません。
今まで何体のお人形を世の中に送り出し、どれだだけの職人さんの手を借りたことでしょうか。
多くのお人形を手にしていただいた皆様のおかげで、ここまで続けることができました、
本当にありがとうございます。
そして三代目関光ブランドとして、感謝と努力をおしまず、さらに100年先まで、みなさまにお人形をお届けいたします。